教育と本当の学びは、イコールで結ばれない
カリトンは、中高の授業が大っ嫌いであった。
いじめとかあったんで、そのことで学校のことを嫌っていたという事実を除いたとしても…である。
特に好きでない授業は、ノートに落書きをして過ごしたものだ。ちなみに、落書きをしたままでテスト用紙を提出したりしたこともある。
わざとやったんじゃないよ!
あまりにも勉強しなさすぎて、高校生時代に2回ほど、カリトンが留年しそうになったくらいである。
高校二年生の時と、三年生の時ね。
そんなカリトンであるが、ある時を境に学ぶことが大好きになっていったのだ。その時の話でもしていこうかね。
【目次】
学校の授業
あなたが『学校の学び』という言葉を聞いて、どのようなものを思い浮かべるかな?
暗記ばかりが重要視されるテスト。
一方的に先生が喋る授業。
カリトンが思い浮かぶのは、この二つだ。
今では、政府が教育に対して新しい考え方を打ち出している。なのでこの現状は、少しずつ変わっていくだろう。
一言でまとめるなら、退屈なもの。
それが、カリトンが思う『学校の学び』だ。
この方法を悪だなんて言わないし、思わない。
なぜならこの学びは、少し前の時代では革新的なものだった。そしてとても役に立つものであったからだ。
詳しくは、後日別記事にする。
ともあれ、退屈な学び。
それが学校という場で、やらされることではないだろうか。
そもそも《学び》とは?
学びとは、『真似る』から生まれた言葉である。
真似て、知識を自分の中に取り入れて。
そして、自分を高めていく。
そこに至るまでを学ぶという。
つまり…。
学びとは真似ることである。
家族に何かを教えるときは、《まねぶことから》始められるように教える (大変な状況のなかでの暮らしのヒント)|井庭 崇の Inspiration Note|note詳しくは、このサイトを見てみると面白い。
カリトンが学ぶ楽しさを知ったキッカケ
カリトンは学校での学びが、絶望的に合わなかった。
暗記が嫌いで、興味のないことに耳を傾けるのが苦痛でしかない。
面白いと思えば、カリトンは話を聞いた。でも、そうでない時は落書きしてたよ。
それが中学生時代の話。高校生時代はもっと酷かった。
だが、ある時、カリトンはキッカケを掴んだ。
それはカリトンが学ぶのを大好きになる第一歩だった。
有名なこの小説が、カリトンの人生のターニングポイントなのである。
それまでも、本は読んでいた。
でもカリトンは、漫画や子供向けの本しか読まなかった。
当時、活字を見ると吐き気がする人間だったのだ。ちなみに、今は読書ジャンキーである。
そんなカリトンであったが、
「本読んだら、国語の点数が上がる」
この母親の一言と、なけなしの勇気でシャーロック・ホームズを手に取ったのだ。
当時のカリトン、テストの点数が良くないことを気にしてたからね。よく劣等感には苛まれてたよ。
それからカリトンは、シャーロック・ホームズ沼に大いにハマってしまったのだ!
ホームズの魅力に当てられたカリトンは、いつしか小説家になることに憧れを持つようになったのである。
この頃、中学3年生の秋。
カリトンは考えた。
小説家になるにはどうすればいいだろう?と。
その答えは知識である。
ストーリーの構成の作り方。魅力的なキャラクター。小説の文章の書き方。色々あったはずなのに、答えはコレだった。
カリトンは答えを手に入れた。なら、あとはそれに向かって頑張るだけである。
周りの同級生が受験勉強していたって、問題なし。親が必死に、絶望的な偏差値を叩き出した娘の進学先を探していたって、微塵も気にしない。
周囲(主に親)に凄まじい迷惑をかけながら、カリトンは嬉々として読書をして学び続けた。
受験期間なのに何してんねん、というストレスは感じてた。でも、本読むの楽しくて、朝から晩まで延々と読み続けてたね。
つまり、カリトンにあっていた学びは、学校の授業じゃなかった。
読書こそが、カリトンに適した学びなのだ。
そのことに気付いたのは、わりかし最近のことではあるがね。
学ぶことは楽しいことである
この事実を忘れてしまっている人は、あまりに多い。
でも、知っているかい?
子供は生まれた時、諦めることを知らない。だから、生まれたての子供は諦めない。
だけど、大人は諦めをとてもよく知っている。
理由は簡単だ。
諦めることを、周りの大人を見て学んだんだよ。つまり、真似して取り入れてみせたんだ。
気づいていない人もいるかもしれないが、生きているだけで人は学んでいる。
人との接し方、自転車の漕ぎ方、時計の針の読み方、料理の仕方、家事、自分に似合うファッションの合わせ方…
ほら、こんなにも身近に学びはある。
「学びは机の上でやるものだ」って?
それだけなわけがないだろう。
自転車の漕ぎ方は、机の上でマスターしたのか。
ファッションのセンスは、調べて実際に着てみて磨いたはずだろ。
目上の人と接する時には、アドバイスを聞いたり、叱られたりしてマナーを身に付けるものではないか。
料理だって、何度も失敗しながら上手くなるものだ。
学びとは、机の上で夢中になることだけではない。
実際にやってみることも、立派な学びだ。
失敗することも、人の話を聞いてみることも、立派な学びである。
もし、
「学ぶことがつまらない」
そう思うなら、それは学ぶことがつまらないのではない。
学び方があなたにあっていない。
それが答えなのだ。
カリトンの場合、読書で学ぶのが性に合っている。が、本当の意味で正解はない。どの学び方がいいかは、個人個人によるからね。