カリトンブログ

大学生のブログ主が、自分独自の視線から世界を語ったりするブログ。

なぜ、他者に認めて欲しいの? 認めて認めて病にかからないために

誰かに認めて欲しい。

誰もがそう思って生きている。

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でも、疑問に思ったことはないかね。

なんで人って、誰かに認めて欲しいって思うんだろう?

 

この記事は、承認欲求だなんて言われることについて語るものだ。

【目次】

 

承認欲求とは?

人に、自分を認めて欲しいって思う感情だ。

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冒頭でも軽く触れてあるな。

例を挙げるなら…

 

  • かわいいって思われたい
  • いい人だと思われたい
  • 嫌われたくない

 

まあ、一言で言うなら受け入れられたいってことだ。

他者に拒絶されたくないという衝動でもある。

 

なんで人は認められたいのか

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この答えは、人によって様々だ。

なのでここから述べるのは、カリトンなりの解釈である。

 

さて、伝えていきますかね。

 

カリトンなりの解釈

人が他者に認められたいと思うのは、社会的な生き物だからだ。

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人は、たった一人では生きていけない。

一人では生きていけないからこそ、複数の人たちと生きる必要性がある。

そして、複数の人とうまくやっていくには、周囲に認められている必要があった。

 

そして、

周囲に認められるには、認められる振る舞いをしなければならない。

 

だから本能の内の一つに、承認欲求があるのだろうよ。

認められやすくなるために、認められたいという欲望が生まれたんだ。

 

本来は、承認欲求ってそういうものだったのだと思う。

 

人々の承認欲求が大きくなってる理由

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これね、つくづく感じる。

なんなら、現代の病であるって言っても良い。病でも、難がつくやっかいな病だ。

 

軽く、現代という時代を振り返ってみようか。

 

現代は、たくさんの価値観があることを許した時代だ。逆に言えば、絶対的な価値観がない時代である。

 

そして、今までの人類の歴史の中で、一番自由に生きやすい時代でもあったりする

自由が一番近いから、自由を避けるという皮肉な実態はあるけれど。

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そして。

絶対的な価値観がないからこそ、こう振る舞っといたらいい…みたいな世間での『正解』がない。

 

だからこそ、他者に認められることのみを重要視する人…というのが出てきちゃうんだな。

 

他者に認められることを求めるのは悪くない。断じて悪くなどない。

 

でも、それだけ全振りするのはね…。

まあやめておけぃ。

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自分が空っぽになって、虚しくなるだけぞ?

 

承認欲求の奴隷か否か

どれくらい、他者から認められることに価値を置くか。

その比率は人による。

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性格経験思想

それらにめちゃくちゃ左右されるだろう。

 

ほどほどに、認められたいという気持ちと付き合えてるか。そうでないか。

ほどほどにできている人は、承認欲求という暴れ犬をちゃんとリードできている

 

でも、そうじゃない人は承認欲求の奴隷になってしまっているのだ。

恐ろしいな。

認めて認めて病を変えるには?

これね、病的に認められたいって思ってる人って一つ特徴がある。

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他ならない自分を認めれていない

 

自分を認めれていないから、せめて他者に認めて欲しいんだな。

自分を自分で拒絶しちゃってるから、どうしても他者に拒絶しないで欲しいんだよ。

 

悲しいことに。

 

なので、認めて認めて病を変えるには…

自分を受け入れよう。

自分を認めよう。

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それが答えだ。

まずは自分に向き合いましょう。

 

どんだけ嫌で仕方なくても、そいつが自分だ。他者が青い芝生に見えるなら、それはただの幻である。